珍しく続きの更新が早いのですが、表題のとおり、都知事選前にアップしておきたく、今回は番外編。
しかも、2本のうち1本は映画という掟破りですが、どうぞお許しを。

『女帝 小池百合子』
石井妙子

 

これを書いている時点で30万部超えのベストセラーになっていますが、単なる暴露本の域をはるかに超えた、戦慄のノンフィクションでした。
Twitterでは、「都民全員に配りたい」といったツイートもちらほら見かけましたが、わたしも同じ気分で、ちまちまと人に薦めております。何せ、ふだんならkindleで買うところを、人に貸したいがためにわざわざ書籍で買ったくらいですから!!

あちこちで解説されているので、今さらわたしの感想など百番煎じくらいの内容になってしまいますが、まあとにかく云いたいことは、「都知事選の投票前にこれを読んでください!」これだけです。
もちろん、ここに書かれていることが、100%正しいかどうかはわかりません。現に、舛添要一との熱愛については、舛添氏がSNSでひっそりと否定していましたしね。ここは中盤のけっこう盛り上がるところだけに、事実と異なるならもったいない欠陥です。
この点の傷は気になるものの、全体としては、微に入り細をうがつ取材と圧倒的な筆力で、440ページという大ボリュームでも、一級の推理小説のようにぐいぐい読ませます。
わたしは東野圭吾の『白夜行』を思い出しましたが、人によっては松本清張作品や宮部みゆきの『火車』を彷彿とさせるようです。筋書きだけを見れば、この本は「生い立ちに陰があり、権力欲と上昇志向が異様に強い女が、あらゆるものを踏み台にしてのし上がっていくピカレスク・ロマン」と説明することができます。そして、そうしたフィクションであれば、すぐさま映画化できそうなほどの面白さです。
しかし、この本の真の恐ろしさは、これがノンフィクションであり、現職の東京都知事の話だということです。
“カイロ大学首席卒業”の疑いばかりが取り上げられますが、これは1つのエピソードに過ぎません(たいへん重要な話ではありますが)。読後の印象は、とにかく軽薄で信念がなく、息を吐くように嘘をつき、自分が目立つことは大好きだけど、人の痛みが分からない、そういう人なんだなと感じました。
阪神大震災の被災者の陳情を、終始マニキュアを塗りながら聞いた挙句に「塗り終わったから帰ってくれます?」と云い放つ。北朝鮮拉致被害者の家族の記者会見に同席した後、バッグを取りに来て「あったあ!バッグ。わたしのバッグ、拉致されたかと思った!」と冗談めかして云ってしまう。サイコパスという認定をあまり安易にするのはよろしくないかもしれませんが、本気で良心が欠如しているのでは?と思ってしまうエピソードが満載です。
わたしがこれまで読んで最も恐ろしかった本のひとつが、北九州監禁殺人事件のノンフィクション『消された一家』なのですが、この主犯の男を思い出しました。裁判では一貫して自分は悪くないと主張し、時には冗談まで飛ばす。罪状を鑑みればとてもそんな冗談を云える立場じゃなかろうよと思うのですが、傍聴席では笑いまで起こっていたというのです。つまり、この男には人を魅了する何かがあるのです。容姿も悪くありませんし、少し接する分にはむしろポジティブな印象を残すのでしょう。
表面的には普通の人よりも魅力的に見えるというのは、サイコパスによくある特徴であり、だからこそ恐ろしいといえます。

また、サイコパス的な不気味さとともに見逃してはいけないのが、「女性初の都知事」「女性初の総理大臣候補」こういった魅惑的なキャッチフレーズをとことん利用してきた小池百合子の、ミソジニー的な(?)側面です。
男女平等や女性の地位向上など、フェミニズム的な理由から彼女を応援する人も少なくないでしょう。しかし、読み進めていくと、田嶋陽子も指摘していますが、彼女は決して女性の味方などではなく、女性の皮を被った男性(おっさん)に過ぎないのです。社民党の福島みずほも、例えば野田聖子さんにはシスターフッドのようなものを感じるが、小池さんには全くそういうところがない、とコメントしています。確かに、「築地女将さん会」への仕打ちを見ても、女性同士の連帯云々ということは、パフォーマンスとしては大いに利用しても、心の底ではどうでもいいと思っていそうです(苦笑)。女の中で一番偉くなりたいとは思っているかもしれませんが。
かくいうわたしも、もともとは女性同士でつるむのが苦手な人間なので、小池百合子の気持ちがちょっとはわかるかな?と考えてみたのですが、彼女のように男性の中でうまくやっていけるタイプでもないので、やっぱり共感できませんでした。

ともあれ、これを読んでそれでも彼女に投票するという人がいるならぜひ理由を聞いてみたいのですが、政治信条など何もない空っぽな人を御輿に担いでいる方が、正義やイデオロギーを振り回す人よりは結果的に安全という一面もある……のかもしれません。そんな政治はどうかと思いますし、多くの人の上に立つリーダーとしては決して尊敬はできませんけどね。

『君はなぜ総理大臣になれないのか』
大島新


こちらは映画。元・民主党で香川1区の衆議院議員、小川淳也議員の17年を追ったドキュメンタリーです。なお、大島新監督は、大島渚監督の息子です。
劇場の規模が大きくないこと、コロナ禍で客席数が減っていることもあるでしょうが、初日から満席が続くほどの人気だそうです。
小川淳也の政治人生を簡単に説明しますと、東京大学法学部卒、自治省(現・総務省)官僚となったのち、2003年、民主党公認で衆議院議員総選挙に初出馬。この時は落選しますが、2005年には比例代表で初当選します。彼の選挙区である香川1区には、自民党で四国新聞社の一族出身である対立候補がおり、毎回、熾烈な戦いで勝ったり負けたりを繰り返しています。民主党では前原誠司の側近であったため、希望の党騒動で党が分裂した際には、希望の党へ入党。しかし、民進党と希望の党が合流した国民民主党には所属せず、無所属(立憲民主党特別補佐)となって現在に至ります。

政治系ドキュメンタリー映画といえば、思い出すのが、マック赤坂を主役に羽柴秀吉や高橋正明、外山恒一など、いわゆる“泡沫候補”たちを追った『立候補』です。これと併せて、映画監督・真喜屋力の書いた有名なエッセイ「僕とイエスと掘っ立て小屋」(ネットで読めます)を読むと、二度と泡沫候補を嘲笑することはできなくなります。まあ、わたしが筋金入りの判官贔屓だということもあるのですけど……。
地盤・看板・鞄なしの選挙は、かくも過酷な戦いなのかと、これでは政治家を目指す人間が草の根から世に出てくるのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しそうだと痛感します。
小川淳也は極めて真っ当な政治人生を歩んできており、全く泡沫候補ではありませんし、『立候補』的な悲哀とはまた全然違うものの、どストレートに選挙戦を戦っているがゆえの苦悩や苦労がひしひしと伝わってきます。
野球部で頭もよく、爽やかな人気者。そんな恵まれた属性なら、もっとイージーモードで生きていくこともできたでしょう。しかし、「なりたい」ではなく「ならなければ」という使命感を抱いて政治家を目指す。政治を変えるために、自分がやらなきゃいけない。それが、家族を苦しめることになっても。
普通は、政治家に限らずたいていの人は初心を忘れて慢心に至りますが、彼は清々しいほど青臭く、初心を汚さずにここまで来た稀有な人なのだと思いました。伏魔殿といわれる政治の世界において、それを保ち続けることのできる人が、どのくらいいるものでしょうか? 彼が、希望の党騒動に巻き込まれて大きな挫折をする場面は、上記『女帝 小池百合子』を既読しておくと、彼の苦悩を5割増しで味わうことができます。
この映画を観れば、政治信条が合わなくてもたいていの人は小川淳也を好きになるでしょう(緊縮財政派なので、わたしも合いませんが……)。出馬から17年、現在、奥さんと住んでいるのは家賃4万いくらの賃貸の家。ホセ・ムヒカかよ!

私が政治家に求める資質として、「気は優しくて力持ち」というものがあります。
これは敬愛する藤永茂先生の受け売りではありますが、「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」というレイモンド・チャンドラーの言葉にも通じるものがあると思います。本来は人間全般に適用されるべきですが、とりわけ政治家にはこうあってほしい。
彼はまだ「力持ち」という点に置いては弱いのかなと思いますが、優しさや誠実さはよく伝わってきます。まだ49歳、政治家としてはまだまだ若い年齢ですから、いずれ「力」を身に着けて、政治の中枢を担える人になっていく可能性もあるでしょう。
映画の最後に「総理大臣を目指しますか?」と監督に聞かれ、逡巡しながらも、「その答えが『NO』なら、今日にも議員辞職すべきだと思います。『YES』だからまだ踏ん張っている」と云い切ったのはとてもかっこよかったです。