すみません、本を読むスピードに感想を書く手が追いつかず、世の中のスピードにも追い付けず……。
もう①のみでしれっとやめようかと思いましたが、せめて②まではやりましょう……これからは、番号を振るのではなく、続、続々などにしたほうがいいですね(笑)。
今回は、“なんとなく、ゲバラ祭り”です。

『チェ・ゲバラ伝』
三好徹


長らく本棚に眠っていた積読本のひとつです。
フィデル・カストロとチェ・ゲバラの仕事と生涯を、一度通読してみたいという思いはあったものの、なかなか時間が取れずにいました。しかし、キューバの医師団が、感染者が爆発的に増えている最中のイタリアに入ったというニュースを見て、ようやく引っ張り出しました。
こういう世の中で、社会正義とは何なのかを考えるのに、キューバ革命はよい素材だと思います。
少し前、池上彰と松井秀喜がキューバを訪れる番組が放映されていましたが、キューバのよいところ、悪いところが簡潔にまとまっていたと思います。
買い物大好きなわたしにとっては、キューバの“物の無さ”は耐え難いかもしれません(旅行中もちょっと思っていました)。いくら断捨離して無駄を減らし、必要最低限の物だけで質素に暮らすことが推奨されても、そういう“無駄”が世の中を楽しくしていることも無視できないからです。無駄に美しい(かわいい)もの、栄養的にはゼロのおやつが心を豊かにしてくれることは、どんな人にも多かれ少なかれ経験があるのではないでしょうか。
しかし、決して豊かではない国で、教育と医療が無料という事実は、素直に感心せざるをえません。国を支えるものは結局人であり、人を大切にしようという思想が見えるからです。
今回に限らずキューバがこうした危機の際に、医師団を海外に派遣しているのを見るにつけ、物は無いけれど、プロフェッショナルの人材はいる。だからそれを役立ててもらおうという姿勢は、単純に「かっこいい」と思うのです。「人は城、人は石垣、人は堀」という武田信玄の言葉を思い出しますね。そして、そのかっこよさは、指導者であるカストロはもちろんですが、医師でもあったゲバラの理想が息づいているのだと思います。
好意的な目線で書かれているということもあるでしょうが、本を読んで、“かっこいいゲバラ”の印象が変わることはありませんでした。放浪の旅の末が革命家って、できすぎたフィクションですか?! 全バックパッカーがひれ伏してしまうわ! とは云え、最期は無残に殺されてしまいますし、決して完全無欠のヒーローではありませんが、こういった英雄が権力者となってすべからく腐敗の沼に落ちていく末路に比べれば、清潔な精神と志のまま生涯を全うした(短い生涯ですが)稀有な例と云えます。
ゲバラのように生きられる人はなかなかいないと思いますが、世界にとっての良心の象徴として、その名はこれからも輝き続けることでしょう。自分もせめて、心の中に、バッジを付けるような気持ちでその名を刻んでおきたいものです。

『反逆の神話』
ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポター


チェ・ゲバラつながりで読んだわけではないのですが、表紙が、みんな大好きゲバラTシャツです。読み進めていくと、このTシャツが象徴しているものがわかってきます。
わたしは、どう自己分析しても左派・リベラル寄りの人間ですが、同時に、そちら側と近似性の高いSDGs、代替医療、フェミニズムなどといったものに、どこかモヤモヤとした違和感を覚えてもおり、右翼の街宣車とはまた違った怖さを感じることがあります。
この本では、そういった左派やカウンターカルチャーが孕む欺瞞を、さまざまな事例から繙いています。エコ、自然主義、パンク、オルタナティブ……あらゆる反体制文化が、結果的に消費(商業)主義に取り込まれ、さらに消費主義を推進して問題を悪化させるという、なんとも救いようのない内容です。例えば、こんな具合に。

有名な一九九九年のシアトル暴動のさなか、商業地区のナイキタウンを抗議者たちが破壊したが、現場を記録したビデオに、前面の窓を蹴りつけている抗議者数人がナイキの靴を履いているのが映っていた。多くの人が思った。ナイキこそ諸悪の根源と考えるのならば、それを履いちゃいかんだろう、と。だが何千何万という若者がナイキを履かないとなれば、当然「オルタナティブな」靴の市場が生まれる。

こうした例が、これでもかと、半ば嫌みなほど(笑)列挙されていきます。
消費主義に反対してきたナオミ・クラインが住んでいるトロントの「本当の倉庫ビルの最上階」とは、カナダにおいて最も価値の高い、マンハッタンのソーホーのロフトにも匹敵する住まいであるという話。
消費主義から脱却して「本当に必要なのは地球だけ」と悟ったミシェル・ローズという女性(日本でいうところの〝ていねいな暮らし”系の著名人)が、有機栽培やシンプルライフの実践のために、開発されていない土地を求めてあちこち飛行機で飛び回り、商売のタネにしていること。
音楽で売れて人気者となったアラニス・モリセットが、充電期間中にインドやキューバを訪れたことが〝人生を変える経験”となり、次のヒットシングルで「ありがとう、インド」と歌ったことに対し、著者は「モリセットに限ったことではない。西洋人は何十年も前から、第三世界諸国を個人の自己発見の旅の背景に使ってきた。」と辛辣に書いています。

全部が全部そうだとは云いませんが、左派やカウンターカルチャーにうっすらと漂う“胡散臭さ”は、体制側のむき出しの欲望と一見違う正義や倫理(悪く云えば“きれいごと”)を纏っているけれど根本は同じであり、地球に優しいオーガニック商品やエシカルファッションが高価で人々の生活に優しくないのは、消費主義をやめましょうという“商売”だからだということでしょう。羊かと思って安心して近づいたら狼だった的な、そうした欺瞞が見えてしまうと、どの口が云うてんねんとつっこみたくもなるし、ユニクロに人々が流れるのも致し方ないと思ってしまいます。
反体制カルチャーは結局のところ「俺はお前たちとは違う」というスノビズムに端を発して単なるマウンティングに陥り、消費主義に取り込まれるがゆえに決して世の中を変えることはないというのが、この本で繰り返し主張されていることであり、世の中を改善できるのは「民主的な政治活動の面倒な手順を経て議論し、研究し、提携し、改革を法制化することで達成したのだ」と、著者は結論づけています。
この手の欺瞞に対しては、反発心もあると同時に、反体制的なものに傾きがちな自分も少なからず持っているものだと感じるので、自戒をあらたにした次第です。ゲバラTシャツは持っていないものの、サパティスタのTシャツはしっかり買ってファッションで着てしまう人間ですからね!まあ、サパティスタが細々とグッズを売って活動資金にしていることは、責められるべきではないとは思いますが……。
半端な反逆ではかえって消費主義に加担してしまう。左派やカウンターカルチャーが本気で世の中を変える気があるのなら、これまでとは違う戦い方をしないといけないということも痛感しました。

『ゲバラ覚醒 ポーラースター1』
海堂尊


ドラマ化もされた『チーム・バチスタの栄光』の作家による、ゲバラを主人公とした大河小説です。こちらは1巻。さらに、『ゲバラ漂流』『フィデル誕生』と続きますが、そちらは未読です。
わたしは、史実とフィクションのバランスにいちいち目くじら立てるタイプのうっとおしい読者ですので(近年の大河ドラマに対してはだいたいこれで怒っています笑)、この小説にも二の足を踏んでいました。
全体を通してやや少年漫画っぽいノリで、ティーンのゲバラが逮捕されたフアン・ドミンゴ・ペロンの解放の手助けをしていたり、ゲバラがエバ・ペロン(エビータ)に懸想していたりというゲバラファンが鼻白みそうな(笑)設定など、なかなかありえない感じの展開になっていますが、当時の南米の政治情勢や、政治的指導者たちの思想や性格がうまく盛り込まれていて、ためになります。巻末には膨大な参考資料が列記されており、著者も相当勉強して執筆されたことがうかがえます。上記の『チェ・ゲバラ伝』でも登場するボリビアのエステンソロや、チリのサルバドール・アジェンデ、チリの国民的詩人パブロ・ネルーダ(五木寛之の『戒厳令の夜』にも登場していましたっけ)、『伝奇集』の作家ルイス・ボルヘスまで南米のスター総出演。なかでも、梟雄フアン・ドミンゴ・ペロンのキャラクターは面白く、中盤、ブエノス大学で講義する場面は、ペロンの人物評を再考させられる一幕でした。
ゲバラのキャラクターは、映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』で描かれた青春真っただ中の、好奇心と正義感が強く、ちょっとやんちゃで甘いとこもある、どこにでもいる気のいい兄ちゃんを踏襲しています。しかし、終盤は『モーターサイクル~』とは違う展開になって結末を迎えます。
なお、この物語ではゲバラもさることながら、ヒロイン的に登場するエビータ(物語上では“ジャスミン”)が肝になっています。わたしはブエノスアイレスでお墓参りに行ったくらいには彼女に興味を抱いておりまして、“派手に着飾りながら貧しい人々の味方をする”という二面性が自分のなかにもある性質だということと、貧しい労働者たちに向けて「あなたたちもこんな服を着ることができるようになる」というメッセージを織り込み、何だかんだで彼らに実質的な果実をもたらしたことに感心するからです。敵には容赦なく、あまりにも神格化されすぎたエビータのやり方は極端だとしても、「みんなで(それなりに)豊かになる」ということは決して間違った思想ではないと思いますが、それは難しいのでしょうかね? 

次回も、あまり期待しないでお待ちください;