自分の頭で考えることが大切、とよく云われます。しかし、その自分の頭も、ちっぽけな人生経験と日々得る情報や知識のコラージュであることを思うと、想像以上の限界があります。
だから、旅に地図が、航海に灯台が必要なように、人生にも先生や師匠が必要です。
それが誰なのかと考えたとき、真っ先に思い浮かぶのは藤永茂先生です。今年で93歳になる物理学者であり、わたしにとっての「知の巨人」であり、知と正義の指針でもあります。
先生(敬意を表して、以下そう呼ばせていただきます)のブログ「私の闇の奥」は、数年来、私の愛読ウェブコンテンツのひとつであり、普段はショッピングのことしか考えていないわたしでも、読むたびに心が引き締まります。
最近まで、気管支炎が進行して肺炎を患っていたそうで、90代の肺炎というと死と隣り合わせの危ないイメージしかないわたしは、まるで親族のような重さで心配していましたが、無事に回復されたようでひと安心です。ブログにも新しい記事がアップされて嬉しい限りです。

前に書いたことと重複しますが、先生のブログにたどり着いたのは、シリアが不穏な空気に包まれ始めたころのことでした。
チュニジアから始まった「アラブの春」を、エジプトあたりまではあまり疑いもせずに見守っていましたが、事がリビアに至ってうっすらと疑念が湧いてきたのです。そしてシリアにまでこの波が及んだときに、その気持ちは一層濃くなりました。
少なくとも日本では、誰もあれがおかしいと思っていない。「独裁国家」が次々と倒されていくことをむしろ賞賛している。そのことに違和感を覚えるなかで、先生のブログに出合ったのでした。
そこには、シリアだけでなく、リビア、そしてアフリカと中南米の国々――いくつかはわたしが旅してきた――がいったいどのような歴史をたどり、いまどのような状況に置かれているのかが、極めて抑制の効いた、しかし高い熱量の籠った文章で綴られていました。物理学という理系の極北のような難しい学問を収めながら、文学や芸術に造詣への深さもうかがえる、“文理両道”とも云いたいような端正で、自意識の臭みのない文章。知的でなければ絶対に書けないことが、馬鹿のわたしにでもなんとなくわかります。

先生はジャーナリストではありませんし、現地で取材活動をしているわけでもありません。
わたしは基本的に現場原理主義みたいなところがありますが、それでも、長年研究者としてカナダとアメリカという異国で暮らした経験と、膨大な文献やサイトを読みこなし、複数の著作を上梓してきた先生の知性は、たとえ現場に赴かずとも、クリアに物事を見る力があると信じています。現地の声が常に正しいとは限りませんし(わたしだって、街頭インタビューで日本の政治についてコメントを求められても、なにも実のあることは云えません)、現地に行けばなんでも見えるわけでもありません(それは自分自身で証明済みです)。
昔、ある集まりの雑談でのこと、労働も碌にしない思想家なんてものは必要のない存在だという意見に対して、ある人が「世の中には、“考えることが仕事である人”が必要なんだよ」と諭していたのを思い出します。わたしもそう思います。まじめに働く庶民にこそ正義があると思いたくなるのもわかりますが、日々を労働に捧げていると、ものを考える余裕もないので、誰か信頼の置ける人に考えてもらわないと、間違った方向に進む危険があります。逆も然りですけどね……。
ブログをご覧になって、ありがちな陰謀論と捉える方もいるかもしれません(実際、“それ系”と思われる人が、先生を同類だと思うのか、コメント欄に長々と、あちこちにコピペしているような自説を貼り付けていることもあります)。しかし、わたしには、今の世界のあり方を読み解くひとつの重要な視点であると思えます。
先生の目は徹底的に“弱者”の側に注がれており、ひとつの正義感によって貫かれています。それは、歴史において、強い立場の人間がそうでない側の人間をどう扱ってきたのか、とりわけ、植民地主義に端を発し現代まで続く世界規模の収奪に対しての告発です。
そのことが顕著にわかる事例として、先生が訳出された『闇の奥』のコンゴに始まり、ハイチ、ブルキナファソ、エリトリア、ジンバブエ……といった、普段のニュースではほぼ知ることもない国を取り上げてこられました。
遠い国々のこと、そこから見える世界の姿――効率よく生きて暮らすうえでは、知らなくても考えなくてもいいことです。まして、先生のように研究者としての本分を全うされた方なら、外界の雑音など気にせず心安らかに日々を送っていてもよさそうなものです。
しかし先生は、“人間としての責任”とでもいうべき使命感から、本を読み、勉強し、発信しておられるように思います。90代という高齢で、奥さまの介護もしながらそれらを続ける姿に、宗教の求道者のごとき厳しさと高潔さを見ずにはいられません。
先生の展開する、ともすれば‟過激な”論説をわたしが信じるのは、もともとマイノリティやカウンターカルチャーに傾きやすい性質ということもあるでしょうが、先生の核である「良心」に共感するからであり、そして、先生の血肉である「知」に対して敬意を抱いているからです。
「強く(厳しく)なければ生きていけない、優しくなければ生きている価値がない」という有名な一節があります。これは本物の知性とは何かを考えたときに、うってつけの表現だと思います。まさに知性とは強く(厳しく)あるべきであり、かつ、優しさの上に立脚していなければ価値がない(むしろ危険ですらある)でしょう。

最新のブログによると、先生はいま、ベネズエラの動向に注目しています。
ベネズエラの現状を、わたしはどう見てよいのかわかりません。
ここにも‟民主主義革命”が‟輸出”されており、大国が第三世界の政権転覆を支援し、民主主義の名のもとに多くの国が破壊されるという、いつか見た風景を思い出さずにはいられませんが、一方で、市民たちが食糧を求めて長蛇の列を作り、大規模停電のための水不足で排水を汲んでいる写真などがSNSで流れてくると、現政権の正義も怪しいものに思えてきます。庶民にとっては今日食べるパンのこと、目の前の現実をよく生きることのほうが大切だからです。
自分の旅の思い出から繙くと、ベネズエラに関しては、シリアと違って、特によい印象もない代わりに、酷い印象もないのですが、当時は、旅人の間では、ベネズエラは中南米でもトップクラスに治安が悪い国という評判でした。わたしは結果的に無事でしたが、ジンバブエ同様に闇両替がまかり通っていましたし、現地で襲われた旅人も何人か知っていますので、その評判はまあ、間違ってもいなかったんだろうと思います(警察が特に悪質という話もよく聞きました)。そんな先入観もあり、ベネズエラがお世辞にも模範的な国であるとは思いづらいものがあります。
しかし、ダントツに危ないとされていた首都カラカス、日本大使館では、カラカスのセントロ(旧市街)には泊まらないでと言われたカラカス(だからと言って新市街のホテルは高くて泊まれず、旧市街の適当な安宿に泊まっていました)。南ア・ヨハネスブルグに次ぐくらいの警戒心で挑んだその旧市街は、特に殺気立っているわけでもなく、むしろ普通の首都らしく賑わっていました。もともとは豊かな国なのだろうということは見て取れました。わたしは、人が密集している場所のほうが安全だと判断して、日中は町歩きに専念し、歩いている途中に見つけた小奇麗な美容室に入って、髪を切ってもらいました。料金は安かったけれど、その時の髪形は、わりと意にかなったものでした。
ベネズエラの旅は、エンジェル・フォールやロス・ジャノスなどの自然豊かな観光地が大半でしたが、ベネズエラを思い出したとき、真っ先に浮かんでくるのはなぜかその美容室や、あてもなく歩いた旧市街の風景です。何ということもない、ありふれた旅の日常の一コマでしかないのに、自分でも不思議です。

なにが真実で、なにがフェイクニュースか? カラカスの停電はサイバーテロだという見解と、単に草むしりをさぼっていた所為だという意見と、どちらも本当のようでもあり、嘘のようでもあります。それはやっぱり自分の頭で判断するしかないのですが、藤永先生が、ベネズエラとシリアに同じ問題を見ているなら、さらにコンゴやハイチやリビアやウクライナにも繋がっている問題だと考えているなら、わたしはその“闇の奥”を知りたいと思うのです。