気がついたらもう2月とか、本当にこのままだと、「あれ、もうこの世とさよならですか?」ってなりそうなくらい光陰矢の如しなんですけど、皆さんお元気ですか!
せめて1月中に更新しておけば、新年の挨拶もできたのに、さすがに2月ではあけましておめでとうもなかろうよ……。

さて、久しぶりに筆を執ったのは、吉川トリコ著『マリー・アントワネットの日記』(全2巻)という本を読んで、その感想を書きたくなったからなのでした。
前回の『ギケイキ』に続いて、またしてもこのテの、超口語体歴史絵巻です。つい先日亡くなった橋本治の『枕草子』『徒然草』はその走りですが、口語体ではあるものの、橋本治特有の回りくどさに引っかかって、わたしはスムーズには読み進められなかったのです。でも、『ギケイキ』とこの『マリー・アントワネットの日記』は、ほぼ一気読みに近い勢いで、読了まで漕ぎ着けました。
書店で目にしたときは、『プリンセス・ダイアリー』の新シリーズでも出たのかしらと思うようなティーン向けラノベ感溢れる装丁で、いい年した大人が手に取るには気恥ずかしく、横目で見つつ素通りしたのです。しかし、Amazonのレビューは概ね高評価。見た目で判断してはいけないわね、と思いを改めて読み始めたところ、これが『ギケイキ』に勝るとも劣らない面白さ、爆走する一人称にあれよあれよと引きずられ、手が離せなくなってしまったのでした。
みんな大好きマリー・アントワネット。最強の悲劇のヒロインにして、ガーリーの権化。『ベルサイユのばら』のラストは涙なしには読めないし、ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』は最高にときめくビジュアルだったけれど、そのキャラクターに「わかりみ」を感じたのは、この本が初めてかもしれません。「わかりみ」とか「しんどみ」というネットスラングがあまり好きではないのですが、それさえも腑に落ちました。顔文字あり、DAI語あり、ヒップホップスラングあり、現代のJKかパリピみたいな文体と、アントワネットの朗らかで調子ノリ、だけど妙に冷めてもいる性格が、ちょっと鳥肌が立つほどの親和性の高さです。
有名な、結婚式のサインでインクのしみが垂れ、まあなんて不吉……というエピソードも、トワネット(文中での自称)にかかれば、
そんなのよくあることじゃん? いまこうしているあいだにも世界中でありとあらゆる液という液がぽちょぽちょ垂れてるじゃん? ドモホルンリンクルの貴重な一滴だってけっこうな頻度でぽちょぽちょ垂れてるよ?
と、こうですからw(『ギケイキ』の「皇潤を飲みたい」を思い出しますね)
乗馬の練習をしたいと申し出るも、オーストリアからお付きのメルシー伯爵に大反対され、折衷案としてロバで代用することになり「くそダサくて泣きそうです」とか、革命後も、身目麗しい近衛兵に代わって、粗野な国民衛兵が警備にあたるようになった時は「いきなり作画が池田理代子から宮下あきらに変更になったようなもん」とか、いちいちキラーフレーズで笑わせてくれます。

また、すでに歴史的イメージの固まった人々も、なかなか新鮮な描かれ方をしています。
主人公のアントワネットはもちろんですが、良妻賢母にして名君の誉れ高いマリア・テレジアの毒親っぷり、色気の権化のようなルイ十五世の公妾デュ・バリー夫人の素朴な一面、そして何より目からウロコなのは、凡愚暗君という評価がデフォになっている夫・ルイ十六世の、従来のイメージとは正反対に近いキャラクターです。
「心にもない美辞麗句をぺらぺらと口にする数多の殿方よりも、必要最小限のことだけ簡潔に述べ、まちがってもそら言など吐かない殿下のほうがよくね? 普通によくね?」(byアントワネット)
14歳で嫁いでから7年間、夫婦関係がなかったというのは有名なエピソードです。今の時代よりも強固に「女は子どもを産む」ことが至上命題で、しかも世継ぎを産むことが国家の存亡に関わる立場にいて、セックスレスが原因でなかなか子どもができず、非難と中傷に晒されるなんて、耐え難い苦しさだったでしょう。まだ若くて綺麗な自分を持て余し、遊びに現を抜かしたくなるのもごく自然というか、しゃあないなと思ってしまう。ほら、高齢の平民でも、不妊ストレスで爆買いに走る人もここにいるから!
でも、この夫婦像、決してネガティブには描かれていないのです。後半、革命に巻き込まれていくなかで強くなっていく家族の絆……というのは他作品でも読めるけれど、処刑前のモノローグで「こちとら二十三年かけてルイ十六世担してるんでw」と息巻くトワネットは、ときめきこそ無けれども、陰で「錠前萌えのキモオタ」(すげー表現ww)と囁かれる夫の中に宮廷の汚れに染まらぬ高潔な魂を見続け、同志として寄り添い、人生を共にする。そんな、切ないけれど、温かくて確かな夫婦愛が、チャラい文体で読めるのはこの本だけ!フェルセンとの燃える恋よりも、そっちのほうに泣けてくるのは、自分が年を取った証拠なんですかね……。

たぶん、アントワネットは良くも悪くも少女のように潔癖で誇り高く、きれいでかわいいものを愛し、約100年後に歴史の表舞台に登場するプリンセス・エリーザベトと同様、自由を希求し、自分らしくあろうとした女性だったのだと思います。現代的な視点で見れば、隙のないマリア・テレジアなどよりはよっぽど共感ポイントがあり、だから時代を超えて人気があるのでしょう。
「このままときめきに殺されるなら本望だって思っちゃう。「ときめき上等」ってローブの背中に刺繍したいくらい。」
この小説ではフェルセンとの恋は完全なプラトニックとして描かれており、さすがにそれは無いような気もしつつ、実際のところ、数々の性的な醜聞なんかは根も葉もなくて、夫同様、そのテの欲求はそんなに強くなかったんじゃないかという気がします。
そんなアントワネットの真骨頂ともいえるのは、「ベルばら」でも描かれる革命後の気高さもさることながら、デザイナーのローズ・ベルタンや髪結いのレオナール・オーティエとともに、「ファッションで天下取ったる!」と鼻息荒くモードを席巻していく様子です。動きやすくてエレガントなドレスの発明は、のちのココ・シャネルにも匹敵する、まさにファッション革命だったのです。狂気の沙汰と揶揄された盛り髪も、爽やかな香りの植物性の香水も、アントワネットが流行らせたといいますし、近年はナチュラリストとしての評価も高まっていることから、そういったセンスに関しては天才的で、先進的な考えの持ち主だったのですね。
(余談ですが、昔、プチ・トリアノンに行ったときは、ベルサイユ宮殿に比べてなんか地味だなーと思った記憶があります。でも今思えば、砂糖菓子やレースのような、繊細で少女的な感性に貫かれた空間づくりだったのね……)

「そんな格好してたら男ウケ悪くなるよ」って? うるせーバカ! なにを着るかはあたしが決める。だれにも左右させたりしない。この国の女たちもいずれそうなる。世界中の女たちがそうなる。ファッションで世界は変わる。あたしが変えてみせる。

実際にここまで思っていたかどうかわかりませんが(笑)、なんか、トワネット、かっけーじゃん!と喝采したくなります。政治的な才能は無かったかもしれないけれど、決して馬鹿だったわけじゃないのよね。
参考文献リストにあった『マリー・アントワネット: ファッションで世界を変えた女』も、興味津々で注文しました。
ちなみに、アントワネットの浪費は、実際には国を傾けるほどのものではなかったようで、財政難の原因は先々代からのツケと度重なる戦争でした。とは云え、明日のパンにも事欠く庶民からしたら、目立つ王妃が怒りの標的にはなるよね……。

『ギケイキ』義経と『マリー・アントワネットの日記』のアントワネットには、文体のせいだけでもなく、“軽さ”という共通項があるように思います。
歴オタ的には、アントワネットも義経も本当に歯がゆい存在で、あの時もうちょっとああしていれば……と思うことが多々あるけれど、大人になると、欠点と魅力は紙一重ということもわかってくるので、何だかんだで後世まで語り継がれている彼らは、間違いなく魅力的なキャラクターだったのでしょう。
アントワネットも文中で自分で云うようにお道化(ODK)が過ぎる性格で、だけど楽しいしまいっか、と流されてしまう、人の好さとノリの良さ。容姿端麗で愛嬌があって、平和な世の中ならばそれでよかったけれど、時代や環境が許さなかったゆえの不幸。
これは両作品の書き方のせいもありますが、どこまでも軽いキャラクターに、壮絶な後半生が待っていて、それが余計に悲しみを増幅させます。すいかに塩みたいな効果なのでしょうか。楽観なのか諦念なのか、悲惨な状況になっても、ふたりともあくまでお道化を忘れずに、軽やかに流されていくのです。だってそれがクールだから、とでも言わんばかりに。

史実に基づく堅牢な屋台骨のおかげか、どんなに文体が暴走しても、物語は破綻することがないので、安心して読めます。婚礼から首飾り事件、フランス革命、処刑まで、押さえるべきハイライトもばっちり。
外側はサクッ、中はもちもちという最高の食感ならぬ読感ですので、ラブリーすぎる表紙に怯まずに、ぜひ手に取ってみてください!kindleもあるでよ!